船橋リトルリーグ
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8東関東連盟 理事長 中野 辰男 船橋リトルリーグが創立40周年を迎えられた事を心からお喜び申し上げます。 私は事務局長としてリーグ創立に関わった一人ですが、当時は何をするにも始めての事で試行錯誤の繰り返しでした。 リーグそのものは大変強力で、関東連盟に加入した年の城東ブロックの予選を勝ち抜いて関東大会に出場しました。翌年の夏の大会では決勝戦まで進み、調布リーグに1-5で敗れはしましたが極東大会にあと一歩の処まで行きました。極東大会は韓国で行われましたが、もし代表になっていたらチームの一員に北朝鮮国籍の選手がいて、韓国に行く事が出来ないと言われるので大変困った事になりました。この選手はショートで3番バッター、しかも本人は日本人であると思っていましたので、決勝戦で敗れはしたがホットした一面もありました。 昭和51年の全日本大会の優勝には複雑な問題がからんでいて、当時極東のリーグがあまりにも強いので米国側が急に日程の変更などを行い、日本では極東大会の予選を行う時間がなくなりました。関東1位と関西1位で代表決定戦を行い、調布が代表になって、米国に行き世界一になって帰国しました。その間に全日本選手権大会が神宮球場で行われ、船橋が優勝しました。後日、神宮球場の記念大会に東京六大学―東都大学のオールスター戦の前座試合として、世界一の調布と日本一の船橋リトルリーグの試合が組まれて、船橋が勝ったゲームは忘れられない試合です。 その後指導者も多くなりグランドも充実して、船橋北部リーグに分割しても全日本選手権大会に出場するなど、伝統のあるリーグとして東関東連盟の中で他のリーグの手本となるようなリーグの運営と先輩達の各方面での活躍など、常に前向きの姿勢を保ち続けているリーグであります。 今後50周年を目指して更に活躍されん事を願い、あらためて40周年お目出とうと申し上げて、私の挨拶と致します。

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