船橋リトルリーグ
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184.2度目の全日本選手権出場とグランド苦難(平成8年~平成14年) 平成8年、25年振り2度目の全日本選手権大会(江戸川球場)に出場しました。 結果は、緒戦で宿敵「調布リーグ」に惜敗しましたが、25年間の夢だった「もう一度全日本選手権大会に行きたい」の思いを果すことができました。 この時期は、銚子リーグや岡山県笠岡リーグ、江戸川南リーグなど、多くの リーグと交流を深め、友好関係を築いてきました。 銚子リーグとは、昭和55年銚子リーグ設立以来の友好関係を更に深め、シーズン毎に試合形式の合同練習を重ねて来ました。8月に銚子リーグが主催する「黒潮選抜大会」には毎回招待され、合宿をしながら大会に臨んでいます。銚子リーグの皆さん一同の熱烈な歓迎、対応には感謝の気持ち一杯で頭が下がります。 岡山県笠岡リーグとは、船橋東ライオンズクラブのお世話で笠岡リーグを親 善訪問したり、船橋グランドで親善試合や、自衛隊駐屯地内でのキャンプ・ディズニーランド訪問など、楽しく親交を深めたのもこの時期です。 平成10年、理想郷であった鈴身の森にも不況の風が吹き、無償提供されてい た専用球場が有償となりその額が年々上昇、支払い限度を超えてしまいました。 グランドを明け渡した後、一時専用球場を持たないジプシー生活を余儀なくさ れました。幸いにも日本大学理工学部のご厚意により、二和校地内にグランド を確保することができ今日に至っています。 平成10年~12年は今までの環境との違いに困惑することが度々ありました。 しかし、それ以上に厳しかったのは選手の減少です。当地の少子化は激しく、学校もクラス数が年々減りました。中学受験熱の高まりと、Jリーグ発足によるサッカー人気も逆風でした。道具や場所が必要な野球は一時敬遠されました。 新規入団者は少なく、選手数が20人の時もありました。平成11年春季大会 は、創立以来はじめてナショナルチームが組めませんでした。 この時も、選手を中心に監督やコーチ・保護者が三位一体となり、問題解決に当たることの重要性を再認識した年はありません。 5.活気あるチームへの復活(平成13年~14年) 大リーグの佐々木、イチローやゴジラ松井らによるヒーロー登場が、野球人 気の復活になったのか、地道な環境整備・啓蒙活動が実を結んだのかは解りま せんが、徐々に入団者が増え活気を取り戻しました。 平成14年の千葉県大会では、ナショナル・マイナー共に兄弟優勝することが できました。選手数も40名を超えナショナルは2チーム編成になりました。

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