船橋リトルリーグ
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16船橋リトルリーグ40年の歩み 1.船橋リーグの創生期(昭和47年~50年) 船橋リトルリーグ野球協会が誕生したのは、昭和47年8月2日のことです。 当時の関東連盟城東ブロックに所属しました。関東地区で64番目、千葉県では 市川リーグと千葉リーグに続く3番目の登録となりました。 リーグ結成には2年の準備期間と、初代リーグ会長名取駿氏・総監督北川桂太 郎氏(元プロ野球選手)・初代事務局長中野辰男氏(東関東連盟理事長)など、大勢 の指導者の並々ならぬご尽力がありました。 リーグ誕生当時の選手は40名、コーチ陣も6名であったと記録されています。 それでも、北習志野駅前からオープンカー・横断幕・ブラスバンドを先頭に、高根台グランドまで堂々のパレードを行いました。 リーグ結成直後の秋季城東ブロック大会では、足立リーグに決勝戦で惜敗。 しかし、翌48年度夏季中央大会では、三鷹・千葉市・杉並・狛江などを撃破、 決勝戦に進みました。相手は強豪調布リーグ、結果は準優勝でしたが試合はテレビ放映もあり、船橋リトルリーグは一躍注目をあびる存在になりました。 また、今日の基礎を築く大きな役割を果した年でもありました。 昭和50年度は、後援会(現保護者会の前身)の誕生に続いて、船橋リーグ専用 グランドが完成しました。組織や環境整備の基礎が固まった年でもありました。 また、リトルリーグの認識も高まり、初めて選手数が200名を超えました。 2.第1期黄金時代と練習環境の充実(昭和51年~55年) 昭和51年リーグ結成4年目、神宮球場で行われた第10回全日本選手権大会 初優勝の快挙を上げることができました。 当時の記録をみると、決して楽な戦いではなく、ひとつひとつの試合は白熱戦 であったことが判ります。そして、監督・コーチ・選手・保護者の総力戦であったことが伺い知れます。 第1回戦(8/2神宮球場) 船 橋 3-1 住吉大和田 第2回戦( 〃 ) 船 橋 4-3 長 野 準 決 勝(8/3神宮球場) 船 橋 4-0 富田林 決 勝( 〃 ) 船 橋 3-0 狛 江 昭和52年~54年は、新グランドの増設・入団テストの実施・練習方法の確立などに成果を上げました。 船橋リトル専用グランドに加え、船橋市の北部地区に2箇所の新グランドを持つことができました。地主の方々のご好意により選手の受入れ態勢と、練習環

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