船橋リトルリーグ
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15「船橋リトルリーグ40周年をむかえるにあたって」 船橋リトルリーグ審判部長 梅村 光平 長男と、初めて船橋リトルリーグの門をたたいたのは8年前のことでした。日大グランドは家から近く、休日になると愛犬を連れて、息子とサッカーをしていましたが、ある日突然「ぼく野球やりたい」といい始めたのが入団のきっかけです。 「お試し」に参加すると、当時、石井監督を中心としたマイナーコーチ陣が、朝早くから日が暮れるまで、熱のこもった練習を繰り広げていました。時折、隣町まで聞こえるような雷が落ちると、子供たちは「蛇に睨まれた蛙」のようにたじろぎますが、「飴とムチ」の絶妙な使い分けに、再び元気を取り戻し、ボールに食らいついていきます。厳しさと楽しさを適度に織り交ぜ、子供たちは自然と野球が好きになり、また、野球を通じて挨拶、礼儀等、大切なことを学んでいました。私達親子は、あっという間に船橋リトルのファンになり、息子は卒団するまで、一度も辞めたいと口にしたことはありません。現在は次男がマイナーでお世話になり、私は審判部の責任者として微力ながらお手伝いをさせていただいています。 子供たちが、野球を楽しく、気持ちよく、またフェアープレイを全うするには、審判員の適格な判断とジャジメントが必用です。審判部の責任者として、諸先輩方が40年に亘り、築き上げてきた歩みを、汚すことなく、更に一歩でも積み上げていくことが私の責務と考えます。 船橋リトルの良き伝統を継承し、監督、コーチ、ご父兄と一丸となって、「船橋リトルファン」が一人でも増えることを期待しています。 今後とも、皆様のご指導、ご鞭撻の程宜しくお願い致します。 「野球はいいものだ」 事務局長 吉田 正巳 野球をとおしていろいろと経験をさせてもらっています。仲間と出会い、仲間とともに野球を楽しみ、仲間とともに目標に向って練習し、仲間とともに試合に挑み、仲間とともに・・・たくさんの思い出をいただきました。子どもたちにもたくさんの良い経験をして、成長してもらいたいと思います。 子どもたちが生き生きと存分に野球ができる環境を大人はどう整えたらよいか三つほど考えてみました。 ① 計画を明らかにし、何に向って、どんなチームにしていきたいか。(計画) ② 野球ができるグランドと道具を整え、怠らない手入れをしているか。(環境) ③ 期待を込めた言葉をかけ、子どもたちのやる気を育てられているか。(関わり) これからも、子どもたちの“ちょっと”の成長を見つけたいと思います。

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